猫実一五三番地熊川万吉は、消防組の使丁をしていましたが、平素から責任感が厚く誠実な人でした。大津波が襲来する直前に身の危険も省りみず、町内を「津波が来るぞう」と大声で触れ歩いた。これを聞いた人達はいち速く安全な場所に避難し、危うく助かった者が多く、同氏の犠牲的行為は町民から感謝されました。
この一大悲惨事のなかにあって危険と戦いながら、ある者は濁流に飛び込み溺れようとする者を救い、あるいはべか舟を操り、女、子供を安全な場所に避難させ、濁水に没しようとする家屋の屋根を破り、なかにいる者を助け出すなど勇敢な者が多く、これら義侠に富む人々に後日折原県知事は賞金を贈り、その名誉を顕彰したと伝えられています。
■そして昭和に入り、同4年11月に火災が発生し堀江で6戸を消失しました(町史による)。
・・と紹介したのも実は青べか物語の「土提の冬」の章で、浦粕座で火災が発生した様子がかかれています。
『外は雨、私は机に向かっていた。・・・寒さの厳しい夜で、火鉢を抱えているのに・・』と続く。
推測の域を出ていませんが、11月で寒い時期でもあるし、 「土提の冬」の章でも『寒さの厳しい・・』とあるので、多分この時に浦粕座が火災に遭い、6戸が消失したのでは・・と思っています。
但し、東京新聞出版局発行「青べか慕情」の木村久邇典氏によると「山本さんの浦安生活は昭和3年8月から翌4年の9月下旬までで・・」とありますので、これが事実ならば一年のズレが生じます。