青べか紀行 P2



江戸川の対岸から蒸気河岸を見た風景
今はこんな状態になってしまっていますが、昔は水がきれいで、泳いだりこの水を炊事につかったりしていたそうです。
江戸川の水門のすぐ下の風景です。
水も、流れも、周りの風景もすっかり変わってしまいました。




「交通は乗り合いバスと蒸気船があるが、多くは蒸気船を利用し、〈通船〉と呼ばれる二つの船会社が運行していた。これらの発着するところを「蒸気河岸」と呼び、隣り合っている両桟橋の前にそれぞれの切符売り場があった」
この通船とは「高橋」(現在の江東区高橋にある水上バス高橋乗船場)から行徳行きの蒸気船のことを云い、浦安はその中継地でした。「高橋」を出た通船は小名木川を東に向かい、いったん荒川に出、葛西の新川を通過して江戸川に出ました。二時間半かかったと云います。ですから、当時浦安から浅草まで行く場合は、この逆を辿り「高橋」で乗り換えて隅田川から浅草に行ったと云います。
その他の交通手段としては、錦糸町から城東電車で今井に行き、渡船で江戸川を渡って浦安に向かう方法がありました。いずれにしても当時の浦安は比較的東京に近い場所にありながら、行き来のきわめて不便な東京からポツンと離れた別天地だったのでしょう。
又、「蒸気河岸」とは現在の猫実五丁目の江戸川河畔で、地下鉄東西線で葛西から江戸川を通過して浦安に入って直ぐ真下に見える河畔です。
彼、「山本周五郎」はこの「蒸気河岸」の近辺とか、その「蒸気河岸」にある「船宿千本」に下宿していましたので、当時は「蒸気河岸の先生」と呼ばれていたのです。
注:青の太字は山本周五郎作「青べか物語」の原文から引用しました。
参考文献:山本周五郎著「青ベカ日記」
木村久邇典著「素顔の山本周五郎」
同 「青ベカ慕情」
同 「山本周五郎・青春時代」

