関東平野ほどの広さのLA全域がいわぱ日本での総称“ロス"。
但し、最近は“ロス”とは云わないようです。ロス暴動とかロス疑惑とか、とかくよくないイメージなのでLA(エルエー)と呼ぶようになっているようです。
サンタモニカやビバリーヒルズ、スターのベッドタウンのマリブあたりは外国人にもちゃんと市の名で呼んでもらえますが、他の百くらいの市は一まとめでLAと呼ばれます。但し厳密にはロスアンゼルス郡なのです。
16世紀の中頃、スペインの探検隊がこの地に足を踏み入れたのが、ロサンゼルスの歴史のはじまりと言われています。当時は少数のインディアンやバッファローなどの野生動物が住むだけの広大な原野でした。1771年にフランシスコ派のユンペロ・セラ神父が初めて移住者となり、それ以降メキシコ人が移り住み、村落を形成しました。彼らの中にははメキシコ人、インディアニペスペイン人、黒人などさまざまな人種で、11家族、44人でした。
現在のダウンタウンのオルベラ街に居を構え、ここを「エル・プエブロ・デ・ヌエストラ・セニョーラ・デ.レイナ・デ・ロス・アンヘレス(天使の女王の町)」と長たらしい名前ですがそのように命名しました。
19世紀に入るとともにこのコミュニティは発展し、カリフォルニア地域の拠点となりました。1821年にメキシコヘ併合されると、スペインからの独立戦争で闘った恩賜としてここの土地が与えられました。
しかし、大陸の東側から新天地を求めて西進してきた開拓民と対立し1850年にはついにメキシコが降参、アメリカに併合されました。
この頃金鉱の発見によって一躍ゴールドラッシュが起こり、人口は急増。鉄道が開通され西部はまたたく間に大躍進をとげました。
LAは西に海、東、南、北に山を臨む、世界でも最大級の盆地で、約38,000年前に海底から隆起した土地で、かつてはマンモスが生息する熱帯地であったといいます。
グレーター・ロサンゼルスと呼ばれる地域は・・
「ロサンゼルス」
「オレンジ」
「ベンチュラ」
「リバーサイド」
「サンバナデイーノ」・・の5つのCounty(郡)から構成されています。サンタモニカ、ハリウッド、ビバリーヒルズなどの有名な観光名所はすべてロサンゼルス郡の中にあるのです。
ロサンゼルス、サンタアナ、サンガブリエルの3つの川が流れています。北側こはモハベ砂漠、北にはサンフェルナンドバレー、サンガブリエル、南にはサンタアナの山々が連なり、南北約100Kmにわたって白砂の海岸線が続きます。
気候は年間を通じて温暖で過ごしやすいのが南カリフォルニアの特徴。空気が乾燥しているのでカラリとして過ごしやすい土地です。年間の晴天日は300日以上で雨の心配はほとんどありません。
但し、雨の時期交通事故が多いようです。というのも雨天時走行の経験が少なく、いつもと同じように走るのでスリップ事故が多発するそうです。
一般に四季の変化は少なく、冬でも日中の日差しが強く、平均温度は13℃を切る程度。ただし、朝晩は冷え込むので注意が必要です。春は澄みきった青空が広がり、海岸部ではモヤが立ちこめ気温も上がってきます。内陸部では昼夜の温度差が激しく、霜が降りることもあります。7〜8月の盛夏は日差しが強く高温になりますが、湿度が低いので不快感はありません。
但し、海岸で寒流の影響で海水温は低く、風も冷たく感じられる時があります。5月のサンタモニカがそうでした。
人口ですが、約230年ほど前、1781年に人口44人からスタートしたロサンゼルス市は、現在約370万人を抱える全米第2の都市です。しかも人種は最初の入居者の顔ぶれ(スペイン人、アフリカ人、インディアン、メキシコ人)を見てもわかるようにまったく様々です。
当初は先住民のガブリエレノインディアンが3万人ほどいましたが、その後アメリカ東部やヨーロッパ、アジアから多数の移住者がやってきて墨付きました。このため同じ「ロサンゼルス市民」といっても人種的背景は雑多で、一説によればLAでは96の言語が使われていると云われています。
ちなみに全米第一の都市はニューヨーク市で、737万90000人と桁外れに多く、3位はシカゴと続いています。
現在、ロサンゼルス郡は人口約940万人。
人種比率は・・
アングロサクソン49.7%
ヒスパニック系32.9%
アフリカン・アメリカン8%
アジア系8.8%
ヒスパニック系とアジア系の占める割合は全米で1番高いと云われています。
不法滞在者も相当多いと見られ、メキシコからの不法入国者は約50万人にのぼるといわれます。街でみかける洗車場は韓国人が経営し、メキシコ人が働いている例が多いようです。
今までは「人種のるつぼ」と云われてきましたが、今では「サラダボール」・・つまり色々の野菜が入っていてそれぞれの特徴と味があり、全体でサラダと呼ばれる・・と表現されています。
カリフォルニア州のニックネームはゴールデンステートと呼ばれます。つまり1846年カリフォルニアで偶然発見された金鉱脈がゴールドラッシュの始まりでした。一攫千金を夢見る多くの人々が東部から集まりましたが、金鉱は堀りつくされました。
1869年西部開拓史上ビックな出来事、大陸横断鉄道が完成しました。翌年以降にオレンジの栽培が盛んになりました。1890年代に石油が発見され、6年間に3,000以上の発掘井戸が設けられました。
広い砂漠の町LAが、米国第2の大都市にのしあがったのは、いうまでもなくこの石油発見によるものです。いまでもLAでは石油を産出しています。
映画の都ハリウッドが誕生したのは1911年のこと。雨の少ない好天候に目をつけた映画関係者がスタジオを設立し、1920年代には世界有数の映画産業に発展しました。
1940年代に制作されたアメリカ映画の90%はハリウッド制作といわれ、この街はアメリカの夢でもありました。一方、このハリウッドの栄光の陰りが見え始めたのが50〜60年代。ジェームズ・ディーン、マリリン・モンローの死が相次いだ頃で、家庭にTVが普及し始めました。現在では、映画のスタジオでTVドラマが作られています。
アメリカ大自然紀行
ロサンゼルスのこと。



LA市のダウンタウンの高層ビル街。真ん中の大きなビルはUSバンクビルです。たしか映画「インデペンデンス・デイ」では宇宙船に破壊されたハズですが・・




■アメリカの発見
イタリア(ジェノヴァ)人のクリストファー・コロンブスはスペイン女王イサベル1世の承諾を受け、大西洋周りによるアジア諸国の発見を志しましたが、1492年に現在の西インド諸島にたどり着きました。
3回目の探検で中米のホンジェラスに到達しました。ここを目指すインドにたどり着いたと思い原住民をインディオ又はインデイアンと云うようになりました。
アメリカの名前はイタリアの航海者で、アメリゴ・ヴェスプッチからきています。それは1497年〜1504年の間に、4度、新大陸へ航海。クリストファー・コロンブスを始めとするヨーロッパ人がアメリカ大陸を「東アジア」であると考えたのに対し、ヴェスプッチは「アジアとは別の大陸」(ヨーロッパから見て「新大陸」)であると主張しました。
そしてこの事実が確認され、ドイツの地誌学者ヴァルトガーミュラーが新大陸をアメリゴの名にちなんでそのように呼ぶように提唱したものです。
その後、イタリア人のジョン・カボットが北アメリカ大陸の東海岸を探検し、イギリスがニューイングランド植民地の領有を宣言しました。その後フランス人のジャック・カルティエがセントローレンス川を遡り、その一帯をフランスが領有化(ヌーベルフランス植民地)するなど、ヨーロッパ人による南北アメリカ大陸の探検と開拓が始まったのです。
アメリカの雄大な大自然と、青春の想い出ルート66を堪能してきました。
★LA County
Santamonica
Venis Beach
Marina Del Rey
Beverly Hills
Hollywood
Universal Studios Hollywood



ハリウッドのチャイナシアターから見える有名なハリウッドサイン。ハリウッドランドとして分譲していた当時の看板のランドを外した・・と聞きました。
サンタモニカのサード・ストリート・プロムナード。おしゃれなブティック、レストラン、カフェ等が軒を並べ、観光客や若者で賑わっています。夕方になるとストリートミュージシャンやらパフォーマーが居て一層賑やかになってきます。
Yosemite
Sedona
太平洋に突き出したサンタモニカピア。

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右のGoogle Street Viewはサード・ストリート・プロムナードです。
画面上で、左クリックで左右上下に動かすと360度見渡せます。